避難所

 避難所に行くように近所の人や知人に出会っては話をして、
知り合いのおじいちゃんが家から出られないと聞けば、2、3人の友人と
手助けに向かい、家から皆でおぶりながら出してあげたり、
病院まで車で搬送したり、休むことなく夕暮れまで、お腹が減った事も忘れ
て皆で走りまわりました。
日がどっぷりと暮れて、日中の暖かさが嘘のように冷え込んできて、
避難所に戻ると、そこはもう足の踏み場もないくらいに人であふれていました。
友人と共に非難されている人に、タバコを屋内で吸う事をやめてもらう事、
管理者の許可なく厨房設備を使わない事、を説明して回りました。
この時、一人の年上の友人から、
「下の子供が、倒れたタンスの下敷きになって、死んでもたんや」
何もいえなかった、只、両手で手を握り一緒に涙する事しか出来なかった。
家にも何度か友人と一緒に尋ねてきた、野球が大好きな子供でした。
(その後この兄弟の事は,新聞にも記事として載りました。)
そして、彼が次に言った言葉は,「家族大丈夫やったか?」
只うなずく事しか出来なかった、
こんな状況で、他人の家族を気遣う、人として何といって良いのか
自分にも出来るのか?こんな素敵な友人がいたことに感謝すると共に、
亡くなった子供の冥福を祈らずには,いられなかった。
この震災で沢山の人が亡くなりましたが、
自分の身近でこんな短時間のうちにこれほどの人が亡くなる事が
どれ程あるだろうか、「哀しい」どれほど哀しめばいいのかそれと共に
私の中では,「生きなきゃ」ほんのちょっとの身体の動きで「死んでいた」
そんな自分は,家族のためにも、「この震災に絶対負けない」
「まけるなんて出来ない」と心に誓いました。
避難所で知人と今日の事お互い労いながら話をしている時、
呼び出しがあって行って見ると、約束通り兄が迎えに来てくれていたのです。
車まで(渋滞で乗り捨ててきたので)2KM程歩いて車の中で、
持って来てくれたお握りと、ホットウィスキー、本当に暖かかった。
実家につくと、夕ご飯が用意してあった、温かいお風呂もあった、
子供は疲れてかもう寝ていた、これからどうするのか?
それよりも「今ここに生きている」今まで生きてきて始めてそう実感し、
生きている事を噛み締めた。続く


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